月曜日, 11月 17, 0020

日本日記 にじゅうご

読書の週末

いろんなことに追われて自分のやりたいことができない状態になっていたので、今週末は絶対に何も予定を入れずに、自分のやりたいことだけする時間をつくるぞ!と決めてて、それができたので、し~あ~わ~せ~(^^)

やりたかったこと → 読みたかった本を読む、そして掃除して、ジムでヨガとかしてリラックス。

読みたかった本は、「悩む力」と「戦争責任・戦後責任 -日本とドイツはどう違うか-」と「Korean Endgame」。さすがに、「Korean Endgame」まではたどり着きませんでしたが、最初の2冊は読めました。ヨガも行ったし、おもっきし掃除もできたし、すっきりです。

                
この「戦争責任・戦後責任」は漢字と歴史に弱い私には少し難しかったけれども、すごい勉強になったし、熟読してもっとちゃんと理解しないとあかんなぁ、と思ってます。また後日再読します。印象に残った部分を少し引用しながら紹介すると、こんな感じ。

戦後40年、1985年
→ 西ドイツではヴァイツゼッカー大統領が第二次世界大戦後40周年の記念演説を行い、ナチス政権、ユダヤ人虐殺、他、戦争責任と戦後責任について以下のように述べます。

「過去に目を閉じる者は現在に盲目となる」

→ 同時期に、日本で、中曽根首相は、「戦後政治の総決算」を掲げてA級戦犯を祀る靖国神社に公式参拝し、その時の演説の表題は、

「国家国民は汚辱を捨て栄光を求めて進む」

現状のドイツと日本の違いがこの部分から見える気もする。
ただ、この違いについて、単に日本の考え方を批判するだけでなく、いろんな客観的、外的要因(アメリカに権限が集中していた東京裁判、冷戦、高度経済成長)も含めて日本の方向性がこうなった背景も述べられてるし、ドイツと比べた戦争責任と戦後責任の取り組み方の違いによって明らかにされる日本の欠点も厳格に指摘されている。

戦争責任、戦後責任を日独比較で話すと、「ドイツ人不変論」とか「日本人ダメ論」が持ち出される傾向があって、そのことに関しても、そんな単純な問題じゃなくて、この両国がどう違うのかのしっかりした要因を出して説明してるから、単に日本を愚痴るだけの話ではなくて、ちゃんとした根拠をもって批判、指摘、理解、分析をしてる(p.235)。そこがいい所やと思う。

あと、この本でも引用されててんけど、歴史教科書交流(日韓)の関係者で韓国代表の李奎浩氏の言葉は、今後の日韓の関係を築くのに、両国に必要とされる視座を示してて(p.232)、

1.「人間は自らの過去の大小の罪悪を反省する時にだけその霊魂が輝くように、一つの民族においても過去の過ちを清算する時にだけ明日の平和が輝くと思われる」
2.「『もしわれわれが歴史に背を向けたら、われわれの未来は危うくなる』が、『閉鎖的な民族主義は非時代的』であり、『われわれがどのような未来の世界秩序に向けた歴史を見据えるかが大事なのである』」

筆者(山口定)が日本・韓国両側に向けての発言だろうって、ほんとそうやなと思う。 別にこの本は日韓や日朝だけの話をしてるわけではないけどね。印象に残った部分でした。抜き出してるだけで、つながりがないからわかりにくくてすみません。日本を見つめ直すのにはすごい良い本やからぜひ機会があれば、この本のぞいてみてください。

では、「もののけ姫」でも見ながら寝ます。おやすみ~。