昨日から考えてることがいっぱいある。頭の中がめちゃくちゃになりそうで、整理ができんくてずっと考えてて、整理するためにここに書こうかなと。
昨日某奨学金の面接に行った、自分の思ってることと考えてることをちゃんと伝えることができひんくてくやしかった。面接の一部でイギリスやアメリカでの「Affirmative action」の日本での適用をどう思うかと聞かれた。何から話していいかわからんくて、戸惑って、はっきりはなせんかった。
米英の「Affirmative action」ってのは「人種」っていうものが存在するっていう観点から話してることで、それには賛同できない。人に「種類」ってない。人は世界中どこにいても人であって、肌の色が黒いとか白いとか、民族が違うってのは同じ「人」の中の外見的特徴とか習慣的特徴の違いやし、それをベースに人として「種類」が違う?っていう定義はどうなのかと。それによって人間的能力が違う、種類が違うってのは賛同できず。(そういう「人種」があるってのが認められて優劣をつけられて起こったのがナチスの状況なわけやし(こんなシンプルな問題ではないんやろうけど)。
「人種」ってのを根底において企画されてる「Affirmative action」については賛同できないとこがあって。日本での適用もそういう意味では賛同できないねん。実際に肌の色や民族の関係で差別されてる人がいるのは確かやから、それに対する対策は必要やけど、それを「人種」っていうカテゴリーを作って対応するのはどうかと思う。実際、アメリカでの統計とかでも、最終的にこの優遇政策で対象となった多くの人たちが中流階級出身のマイノリティーの人たちが主で、本当に日々の生活に困っているマイノリティーの人たちはその対象になってなかった。結局アメリカでも「人種」ベースのアファーマティブアクションは撤廃なって、また新しい貧困層対象のプログラムとかに代わってて、どんどん改善されてきてる。まだ「RACE」の意識は根強いけど。
「人種」というカテゴリー無しでそういう差別されてる人たちとか、困ってる人たちを対象にできる優遇政策って、まだどれって言われへんけど、カテゴリーを定義しなくても貧困層全般を対象にした政策をつくるとか、個々の差別を訴えれる場を作るとか、他にも方法があると思う。だから「人種」をもとにした優遇政策は根本的な解決にならないと思うっていうのが私見で、短期的解決策であって、長期的には機能しないんじゃないかなぁと。(と、言いながら、差別されてる意識があったときは自分も優遇されるべきとか思ってた時期もあったんやけどね。いろいろ考えてここにたどりついた。)
(こんな思いがあったけど、面接官の考え方とかを勝手に察してこういうこと言ったら、落とされるんやろうなぁとか、自分を装って面接して、それが裏目に出たりとか。「言いたいこと言って落とされたほうが悔いがないよな」って弟とKaoriに言われて納得。どちらにしろ不合格ならやっぱり思う存分話したかったなぁ(笑))
もうひとつ昨日、今度は学校の授業で「死刑について、国際人権規約を理由にEUが日本に撤廃を促すのは内政干渉ではないか」という意見浮上。要するに「死刑」は日本には必要だという意見。たしかに日本は国際人権規約を部分的批准で、死刑廃止に関する部分などは批准していない。国際的定義の人権という部分に同意しているにもかかわらず、死刑に関しては批准してないんよなぁ。今多くの国で死刑は撤廃されてきているのに、日本は死刑執行の数が増加しており世界的に問題視されてる。
http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/fl20070408x1.html
http://homepage2.nifty.com/shihai/shiryou/death_penalty/abolitions&retentions.html
「死刑」執行することで解決になるんやろかとか、終身刑だとか何か違う方法があるんじゃないかと私は思う。でもやっぱり感情的な部分も絶対絡むからすごいむずかしいとこなんやろうなぁ。でも人の命を奪った人に対してまたその人の命を奪って解決するってどうなのかなぁ。何かに対する復讐心で解決するのも危ないと思うし。冤罪の可能性もあるし。そんな私が言ってるレベルの話じゃないのかもしれませんが。
確かに、人の命をすごい残虐な形で奪って何か人道的部分でかけている人は社会的に再度危険を冒す可能性があるから、安全の意味で距離を置く必要はあると思う。ただそれが死刑っていう方法でなくてもいいんじゃないかってのが自分の考えで。「でも被害者の家族の気持ちを考えると」とか「それが日本なんだから」とか「EUは世界的権力を行使するために言ってるんじゃないの」とかそういう意見がいっぱい返ってくる。権力行使のために死刑撤廃をうたうなんてそんなことは無いと思います(泣)世界的な人権の定義とか最低限守らないといけない部分とかあってもいいと思う。もともと第二次世界大戦みたいなことがもう起こらないようにってそういう平和のプロジェクトとして組織されたものやのになぁ。うちみたいな漠然とした意見じゃもちろん同意を得れず、一人で屁理屈言ってるような感じになってしもうた。。。
「日本の社会はそれ特有であるべきだから、死刑も日本の特有な部分だ」と言われたけど、文化や社会の事で世界で自信もって日本「文化」だと言える部分であってこそ、それが日本として守っていかないといけない部分で、それに対してEUやほかの国が干渉したりするんだったらそれは間違えてるって同意する。死刑の部分はそういうところとは違うんじゃないかなぁ。日本特有やからって言える部分じゃないよな。
昨日永遠とこんな話で、私は学校で一人宇宙にいた気がした。だからあんな変な日記を書いていたのです。理解してもらえるように説明できない自分に、すごいはがゆさを感じ。きれいごとばっか言ってる人間みたいになって。まぁでもクラスの中の数人と話しただけやしな。上記と違う意見をもった教授やほかの学生もいっぱいいるやろうし。きっと人それぞれいろんな考え方があって当たり前やし。自分は自分でこう考えてて、で、またいろんな話きいて自分の意見も変わることもあるやろうし。それはそれでいいんやろうなぁ。まだ自分の中で整理できてないけど、書くことで少しはクリアになった気もする。
自分へのいろんな課題が見えた一日でした。
P.S. 当分この話からは遠ざかって、時間がたってから考え直してみます。